サヨナラだけが人生だ 井伏鱒二

読書

「サヨナラだけが人生だ」

昔、確か10代後半か20始め頃にどこかで知り、
印象に残り時々頭に浮かんでいた言葉。
最近思い浮かべる機会が増え、誰の言葉だったかどこで知ったのか気になり調べてみた。

井伏鱒二が漢詩を訳詩したもので、寺山修司の「ポケットに名言を」にも載っているとのこと。
高校生か大学生の頃、寺山修司の詩集をよく読んでいたのでその頃読んだのかもしれない。
思春期の頃は世を儚む傾向があったので印象に残ったのだと思う。

私は物をなくすことがほとんどないのだが最近大切な物をなくしたり、
また会えると思っていた人に会うことが難しくなったりして、
この言葉を思い浮かべる事が多かった。
前半の箇所は覚えていなかったのだが全体はこうだ。

原詩
勧酒(于武陵:唐時代の詩人)
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離

井伏鱒二訳
コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

直訳すると人生に別れはつきもの、となるところをサヨナラだけが人生だ、としており潔さや哀しみを感じる。
人生さ、とすると軽さが出て飄々とするが、だ、と言いきることで重みが出る。

私は諦めるために思い浮かべる事が多かったが、
人生一度きりという大切さ「一期一会」として使う言葉だろう。

寺山修司はこの詩に対して、

さよならだけが 人生ならば
また来る春は 何だろう
はるかなはるかな 地の果てに
咲いている 野の百合 何だろう

さよならだけが 人生ならば
めぐり会う日は 何だろう
やさしいやさしい 夕焼と
ふたりの愛は 何だろう

さよならだけが 人生ならば
建てた我が家 なんだろう
さみしいさみしい 平原に
ともす灯りは 何だろう

さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません

という詩、「幸福が遠すぎたら」を発表している。

「サヨナラだけが人生だ」
「さよならだけが人生ならば人生なんかいりません」

また寺山修司の詩集を読んでみようと思う。

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